倭建命(日本武尊)

第十二代景行天皇さまに小碓命またの名を倭男具那命という勇ましい子がおりました。
子の 猛々しさをおそれた天皇さまに「西の熊曾建という乱暴者の兄弟を退治せよ。」と命じられると伊勢の神宮に仕える叔母の倭姫命 を訪ね、美しい衣をいただきました。
熊曾の国に着くと館では新築祝いの宴が開かれていました。皇子は倭姫命からいただいた衣を着て髪をおろし、きれいな乙女の姿でお酌をしました。油断した熊曾建たちがすっかり酔いつぶれた頃、刀を抜きたちまちに兄弟を切り伏せてしまいました。驚いた弟の熊曾建は「私達より強者がいるとは。私の『建』の名を差し上げます。」と言って息絶え、これより皇子は「倭建命」と名乗るようになりました。
命がさらに出雲の国を平定し大和に戻られると天皇さまに「次は東の国へ参れ。」と命じられました。再び伊勢の倭姫命を訪ねると天照大御神より伝わる天叢雲剣と火打ち石を授けられました。
相武の国に入ると、国造(地方の長官の名称)が「野原に悪い神がいます。」と嘘をつき、命が野に入ると火を放って焼き殺そうとしました。そこで命は剣で周囲の草を薙ぎ払い、火打ち石で逆に火をつけ悪者達を焼き滅ぼしました。これにより天叢雲剣は草薙剣と呼ばれることになりました。
東の蝦夷を平定し甲斐・科野を経て尾張の国に戻ると、往きに見初めた美しい美夜受姫と結婚しました。そこで伊吹山の神が人々を苦しめていると聞き「そんな神など素手で大丈夫だ。」と剣を姫の元に置いて退治に向かいました。怒った伊吹山の神は大粒の雹を降らせ大きな白い猪の姿になって命を襲いました。さすがの命も傷つき大和へ帰ろうと歩きだしましたが、能煩野でとうとう力つき、
知らせを聞いた后や御子たちが御陵(墓)を築いて悲しんでいると倭建命の魂が白鳥となって飛び立ちました。白鳥は様々な地を巡って、やがて大空高く飛び去ってしまいました。
子の 猛々しさをおそれた天皇さまに「西の熊曾建という乱暴者の兄弟を退治せよ。」と命じられると伊勢の神宮に仕える叔母の倭姫命 を訪ね、美しい衣をいただきました。
熊曾の国に着くと館では新築祝いの宴が開かれていました。皇子は倭姫命からいただいた衣を着て髪をおろし、きれいな乙女の姿でお酌をしました。油断した熊曾建たちがすっかり酔いつぶれた頃、刀を抜きたちまちに兄弟を切り伏せてしまいました。驚いた弟の熊曾建は「私達より強者がいるとは。私の『建』の名を差し上げます。」と言って息絶え、これより皇子は「倭建命」と名乗るようになりました。
命がさらに出雲の国を平定し大和に戻られると天皇さまに「次は東の国へ参れ。」と命じられました。再び伊勢の倭姫命を訪ねると天照大御神より伝わる天叢雲剣と火打ち石を授けられました。
相武の国に入ると、国造(地方の長官の名称)が「野原に悪い神がいます。」と嘘をつき、命が野に入ると火を放って焼き殺そうとしました。そこで命は剣で周囲の草を薙ぎ払い、火打ち石で逆に火をつけ悪者達を焼き滅ぼしました。これにより天叢雲剣は草薙剣と呼ばれることになりました。
東の蝦夷を平定し甲斐・科野を経て尾張の国に戻ると、往きに見初めた美しい美夜受姫と結婚しました。そこで伊吹山の神が人々を苦しめていると聞き「そんな神など素手で大丈夫だ。」と剣を姫の元に置いて退治に向かいました。怒った伊吹山の神は大粒の雹を降らせ大きな白い猪の姿になって命を襲いました。さすがの命も傷つき大和へ帰ろうと歩きだしましたが、能煩野でとうとう力つき、
「倭は国のまほろば たたなづく青垣 山隠れる 倭しうるわし」
と歌い亡くなりました。知らせを聞いた后や御子たちが御陵(墓)を築いて悲しんでいると倭建命の魂が白鳥となって飛び立ちました。白鳥は様々な地を巡って、やがて大空高く飛び去ってしまいました。
神名・地名表記の漢字には他の文字があてられる場合もあり、別名を持つ神々も多くいらっしゃいます。

