廣田神社
東青地区
037
住所
青森市長島二丁目13-5
御祭神
天照大神 (荒魂)、大国主命、事代主命、蛭子命、藤原實方公、進藤庄兵衛正次翁
天児屋根命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、倉稲魂命、猿田彦命、大宮能売命
市杵島姫命
天児屋根命、表筒男命、中筒男命、底筒男命、倉稲魂命、猿田彦命、大宮能売命
市杵島姫命
例祭
6月20日
由緒
往古一条天皇の御代、 長徳年間 (西暦996年)、 時の左近衛中将より陸奥守に任ぜられた藤原実方公が蝦夷鎮撫の為、 外ケ浜貝森村に 「夷之社」 を創建して陸奥国長久の平安を御祈願されたのに発祥する。
天明四年には疫病大いに流行、 その惨状を徳川将軍聞召され、 江戸幕府より疫病除けとして箱入札一体、 白木造御祠入御弓二張、 御矢二具を時の代官笹森権蔵、 佐藤忠太夫の両名宛に送付され、 之を外ケ浜産土神に奉安して息災を祈れとの命があったので、 同年当神社に奉祀、 祈願して、 漸く病魔を退散する事を得たので、 爾後廣田宮は病者の守護神として一入広く一般の崇敬を集めるようになった。
古来当神社の祭典は春秋二季に執り行われ春季は五月五日の節句の日に 「御旅」 と称して、 御神幸を行った。 秋季には十月二十日の夷講に例祭を執行した。 尚、 当神社は第二代城代進藤庄兵衛翁を祀る由緒深き社である。
天明四年には疫病大いに流行、 その惨状を徳川将軍聞召され、 江戸幕府より疫病除けとして箱入札一体、 白木造御祠入御弓二張、 御矢二具を時の代官笹森権蔵、 佐藤忠太夫の両名宛に送付され、 之を外ケ浜産土神に奉安して息災を祈れとの命があったので、 同年当神社に奉祀、 祈願して、 漸く病魔を退散する事を得たので、 爾後廣田宮は病者の守護神として一入広く一般の崇敬を集めるようになった。
古来当神社の祭典は春秋二季に執り行われ春季は五月五日の節句の日に 「御旅」 と称して、 御神幸を行った。 秋季には十月二十日の夷講に例祭を執行した。 尚、 当神社は第二代城代進藤庄兵衛翁を祀る由緒深き社である。
地図