諏訪神社
東青地区
027
住所
青森市栄町一丁目4-26
御祭神
武御名方神 (たけみなかたのかみ)
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
猿田彦神 (さるたひこのかみ)
恒例祭
元旦祭 1月 1日
焼納祭 1月 7日
節分祭 2月 3日
紀元祭 2月11日
祈年祭 4月27日
大祓式 6月30日
招魂祭 7月24・25日
例 祭 7月26・27日
新嘗祭 11月23日
天長祭 12月23日
除夜祭 12月31日
月次祭 毎月27日
春祈祷 正月
厄 祓 2月
七五三祭 10・11月
焼納祭 1月 7日
節分祭 2月 3日
紀元祭 2月11日
祈年祭 4月27日
大祓式 6月30日
招魂祭 7月24・25日
例 祭 7月26・27日
新嘗祭 11月23日
天長祭 12月23日
除夜祭 12月31日
月次祭 毎月27日
春祈祷 正月
厄 祓 2月
七五三祭 10・11月
由緒
諏訪神社は、第66代一条天皇の御代の寛弘年中(1004~1012 平安時代中期)左近衛中将藤原實方朝臣の勧請により、もと造道村浪打の地に鎮座したのに始まる。
寛永8年(1631 江戸時代初め)青森開港に際し、藩命をうけた開港奉行森山彌七郎が、開港の守護神として堤川中洲に遷座申し上げた。爾来津軽歴代藩主を始め民衆の崇敬篤く、元禄年中まで青森五社の筆頭として崇められ、藩主たびたび参拝をしたという。7月27日は御魂祭と称して神輿を市中渡御していた。
明治5年3月、松森町、博労町、堤町、莨町、塩町、堤川橋から茶屋町まで及んだ大火により結構なる社殿を始め、風致ある境内、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹も瞬間の火に烏有に帰した。その後現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座し、明治40年には総欅流造の本殿を再建、大正10年には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を再建した。
明治6年村社に列せられ、明治44年には神饌幣帛料供進社に指定され、次いで昭和4年11月郷社に列せられている。大東亜戦争末期、昭和20年7月28日青森大空襲により、本殿、幣殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に帰した。
戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立 1892)の払下げをうけ、まず拝殿を復興した。昭和47年12月には本殿を造営、参集殿は昭和52年10月新築落成。平成16年には御鎮座一千年の佳節を迎え、記念事業として7月脇殿を造営、9月幣殿を増築し、盛大に奉祝大祭が斎行された。
イルカ諏訪まいり伝説
東濱におこ婦と云ふ魚あり 毎月一度づつ上磯より十疋二十疋と揃ふて 堤川口より入り 青森諏訪の社へ参詣するといへり…
「津軽俗説選」天明6年 工藤白龍著
古来より諏訪神社の祭日には、海豚(イルカ)が群れをなして堤川をのぼり参詣するという伝説がある。
寛永8年(1631 江戸時代初め)青森開港に際し、藩命をうけた開港奉行森山彌七郎が、開港の守護神として堤川中洲に遷座申し上げた。爾来津軽歴代藩主を始め民衆の崇敬篤く、元禄年中まで青森五社の筆頭として崇められ、藩主たびたび参拝をしたという。7月27日は御魂祭と称して神輿を市中渡御していた。
明治5年3月、松森町、博労町、堤町、莨町、塩町、堤川橋から茶屋町まで及んだ大火により結構なる社殿を始め、風致ある境内、鏡の井、逆手の桜などと称する古井名樹も瞬間の火に烏有に帰した。その後現在の栄町の地に仮拝殿を建てて遷座し、明治40年には総欅流造の本殿を再建、大正10年には総檜入母屋造の豪壮な幣拝殿を再建した。
明治6年村社に列せられ、明治44年には神饌幣帛料供進社に指定され、次いで昭和4年11月郷社に列せられている。大東亜戦争末期、昭和20年7月28日青森大空襲により、本殿、幣殿、拝殿、神庫、宝物、什物などことごとくが戦火に帰した。
戦後の混沌とした世情の中で、昭和24年合浦公園にあった招魂堂(明治25年建立 1892)の払下げをうけ、まず拝殿を復興した。昭和47年12月には本殿を造営、参集殿は昭和52年10月新築落成。平成16年には御鎮座一千年の佳節を迎え、記念事業として7月脇殿を造営、9月幣殿を増築し、盛大に奉祝大祭が斎行された。
イルカ諏訪まいり伝説
東濱におこ婦と云ふ魚あり 毎月一度づつ上磯より十疋二十疋と揃ふて 堤川口より入り 青森諏訪の社へ参詣するといへり…
「津軽俗説選」天明6年 工藤白龍著
古来より諏訪神社の祭日には、海豚(イルカ)が群れをなして堤川をのぼり参詣するという伝説がある。
地図