青森県神社庁
稲荷神社
東青地区
003
photo
住 所  青森市沖館五丁目5-6
御祭神  倉稲魂命
 須佐之男命
 大市姫命
例 祭  7月10日
由 緒 詳創は不明であるが、 佐藤家に伝わる安政二年頃の覚書によると、 「天正年間に、 佐藤讃岐大輔藤原久信なる人物が、 上方表より二人の息子、 衛門太郎元祐、 衛門次郎元吉らと共に祭神を背負って当国へ下ってきた。」 とある。
当初の遷座地も不明であるが、 天正六年 (1578) に稲荷宮を勧請し、 田畑を切り開くと共に住民やその子弟らに読み書きを教え、 やがて村塾に発展している。 その村塾が明治九年 (1876) に小学校となり、 現在の青森市立沖館小学校に至っている。
初代校長は元祐の子孫、 佐藤元衛が務めている。 一方、 元吉の子孫に、 青森の初代町頭となり後に町年寄役を世襲した佐藤理右衛門がいる。 理右衛門 (襲名) は善知鳥村が青森村と改称された寛永元年 (1624) の頃、 信牧公に建言し森山藏之助弥七郎奉行の命を受け、 当時の油川にあった港を青森村に移す作業を推進し、 青森港と青森町づくりに貢献した。