龗神社
三八地区
003
住所
八戸市内丸9
御祭神
高おがみ神
例祭
9月2日
由緒
おがみ神社は往古柏崎 (八戸城地) に鎮座、 勧請年暦不詳、 鎌倉時代、法領明神の別当で代々大善院と称した。
寛永四年 (1627) 再建、六年盛岡城主南部信濃守利直又造営す。 山城守重直明暦四年 (1658) 三月十八日御堂掃除料として別当持地の内高二十石分は諸役御免、 残る持地分は諸役相勤めるようにと、 時の家老、 漆戸勘左衛門、 桜庭兵助、 毛馬内九左衛門より証書を賜わる。 其の後、 寛文四年 (1664) 台命により、 南部重直弟、 左衛門佐直房八戸を分領されてより、 柏崎城地より当社地へ御堂移転。
寛文六年 (1666) 直房臣大田重右衛門主命に依り奉行として、 当社造営。 九月二十日遷座式。 時の別当大善院寛久、 これより八戸総鎮守と称し、 南部家代々厚く崇信す。毎年九月十九日祭典を執行の処、 享保六年 (1721) 七月十九日長者山へ渡御式の祭礼を始め二十一日還御す。
文政七年 (1824)、 八代の領主左衛門尉信真の時、 再建し八年七月九日遷宮式執行、 これが現在の神殿である。
寛永四年 (1627) 再建、六年盛岡城主南部信濃守利直又造営す。 山城守重直明暦四年 (1658) 三月十八日御堂掃除料として別当持地の内高二十石分は諸役御免、 残る持地分は諸役相勤めるようにと、 時の家老、 漆戸勘左衛門、 桜庭兵助、 毛馬内九左衛門より証書を賜わる。 其の後、 寛文四年 (1664) 台命により、 南部重直弟、 左衛門佐直房八戸を分領されてより、 柏崎城地より当社地へ御堂移転。
寛文六年 (1666) 直房臣大田重右衛門主命に依り奉行として、 当社造営。 九月二十日遷座式。 時の別当大善院寛久、 これより八戸総鎮守と称し、 南部家代々厚く崇信す。毎年九月十九日祭典を執行の処、 享保六年 (1721) 七月十九日長者山へ渡御式の祭礼を始め二十一日還御す。
文政七年 (1824)、 八代の領主左衛門尉信真の時、 再建し八年七月九日遷宮式執行、 これが現在の神殿である。
地図