天満宮
中弘地区
040
住 所 | 弘前市大字西茂森一丁目1-34 |
---|---|
御祭神 | 菅原道真朝臣命 |
例 祭 | 6月25日 |
由 緒 | 開祖は菅家の未裔珍重丸の十二代の後胤にあたる大行院栄尊という人で、 京都三宝院、 後に越後の東光院に居たのを慶長三年 (1598)、 京都近衛家の要請津軽右京太夫為信の招きに応じて、 南郡大根子村に祈願所をもうけ仮堂とし、 長永寺松峰山大行院と称し津軽の山伏を支配する司頭であった。 慶長四年二月、 中郡八幡村へ移住し寺禄三十石を与えられ、 寛永二年新寺町へ移住。 報恩寺造営に付き、 宝暦四年 (1755) 津軽藩薬草院のあった西茂森の現在地に屋敷繰替。 明治四年修験の廃止により、 神道天満宮となる。 御祭神と本尊の文珠菩薩は代々大行院の代神として祀っていた御神体と、 種里にあった大浦家の先祖が祀っていた舘神、 慶長十五年信牧公の時弘前城に移し、 「その後慶長十五年、 信政公の命に依り植田村橋雲寺に移した天神さまを明治四年再び天満宮に移し祭った御神体を併せ祀っている。 |